主なる病気(一)

 私は、人体の重要なる三大機能の大体をかいたが、之から主なる病気に就(つい)て解説してみよう。

  腎臓病と其(その)他の病
 腎臓は体内機能中、三大機能に次いでの重要なる役目をしてゐるもので、之は医学でも唱える如く、一旦腎臓へ集溜されたる液中から、貴重なるホルモンを抽出すると共に、廃物液体である尿は膀胱へ送られるのである。処が厄介な事には、腎臓が完全に活動されるとしたら右の通りであるが、実際上幼児から少年、青年、壮年と年を重ねるに従って、漸次(ぜんじ)働きが鈍るのが通例で其(その)原因は腎臓が萎縮するからである。では何故萎縮するかといふと、腎臓が前述の如く、必要なものと不必要なものとが分けられる場合、右の二者以外の異物が混る場合がある。此(この)異物こそ言う迄もなく薬毒であって、之がどう処理されるかといふと、ホルモンにも尿にもならないので、腎臓の表皮を滲透(しんとう)して、背部腎臓面に浸出し僅(わず)かづつ溜るのである。それが固結し腎臓を圧迫するから、腎臓は漸次(ぜんじ)萎縮し、ホルモン産出は減少する(不感症は此(この)原因が多い)と共に尿の処理も鈍化し、其(その)幾分は之も外部へ浸出するから、薬毒に追加され、両毒合併して毒結は愈々(いよいよ)増大する以上、脊柱の両側に溜り上向延長しつつ、遂に肩や頸(くび)の辺迄及ぶのである。肩や首が凝(こ)るのは之であって、面白い事には此(この)両毒結を判別する事が出来る。即ち患部を押せば薬毒の方は固(かた)くて痛み、頑固性であるが、尿毒の方は稍々(やや)柔軟で殆(ほと)んど痛みがない。そうして毒素は遂に頭脳内に迄進入するので、其(その)結果浄化が発(おこ)るそれが頭重、頭痛は勿論、脳膜炎、日本脳炎、脳脊髄膜炎、脳溢血等、凡(す)べての脳疾患である。此(この)頭脳内の毒素の有無を知るのは甚だ簡単で、頭脳に手を触れてみれば直(す)ぐ判る。即ち少しでも温味(あたたかみ)があれば毒素のある證拠(しょうこ)で、温い程毒素が多い訳だが、現代人で無熱の人は恐らく一人もあるまい。
 そして前頭部に固結した毒素の、急激強烈な浄化が脳膜炎であり、此(この)病気が児童に多いのは、浄化力が旺盛であるからである。即ち此(この)病気は高熱と共に、前頭部の激痛と目が開けられないのが特異性で、之は眩(まぶ)しいのと眩暈(めまい)との為である。然(しか)し之も放置しておけば、毒結は溶解し涙、鼻汁等になって排泄され、完全に治るのである。而(しか)も予後病気以前よりも頭脳明晰(めいせき)となり、児童などは学業の成績も優良となるので、これは医師も一般人も意外に思ふのである。処が医療は、氷冷等で固(かた)める為、一旦無熱となり、治ったやうでもその固結が機能の活動を阻害し、痴呆症や、その他種々の不具的症状を表はすのである。
 其(その)他として、彼(か)の日本脳炎であるが、之は統計によるも五歳から十歳位迄が、最も多いとされてゐる。之によっても判る如く、夏日炎天下に帽子も被(かぶ)らないで遊ぶ場合、脳は強烈な日光の直射を受けるから、其(その)刺戟(しげき)によって背部、肩等にある毒素が頭脳に向って集中を開始する。その際一旦延髄附近に集溜するので、其(その)部に手を触るれば棒状の固結を見るが、それが高熱によって溶解、後頭内に侵入するや、非常に睡(ねむ)くなるのである。処が医療は氷冷で固(かた)めるから、予後脳膜炎と等しく、種々な不具的症状を残すのである。然(しか)し此(この)病気も放置しておけば、後脳内に入った毒素は、頭脳を通過して目及び鼻口から、血膿となって旺(さか)んに排泄され、出るだけ出ればそれで完全に治って了(しま)ふのである。先(ま)づ全治迄一週間とみればいい。而(しか)も予後脳膜炎と同様、児童などは非常に学校の成績が良くなるのみならず、初めから生命の危険などは絶対ないに拘(かか)はらず、死ぬといふのは全く氷冷等の、誤れる逆療法を行ふからである。そうして日本脳炎は夏期罹病するに対し、冬期に発(おこ)るのが脳脊髄膜炎である。之は日本脳炎と同様、延髄附近に毒素が棒状に固結するが、之は夏と異い日光に晒(さ)らされてゐないから、中途で止まるといふ訳である。此(この)病気の特異性は右の如き棒状の為、首は前後に動かず、恰度(ちょうど)丸太棒(まるたんぼう)のやうな形でよく判るのであるが、此(この)経過も日本脳炎と同様であるから略す事とする。
 次に脳疾患の外(ほか)の種々の症状を詳しくかいてみよう。
 前述の如く萎縮腎の為、頭部に向って進行する毒素は、延髄附近にも固結するので、眼球に送血する血管が圧迫され、眼は貧血を発(おこ)す事になる。つまり眼の栄養不足で、其(その)為視力が弱り、遠方迄見得る力が足りない。之が近視眼の原因である。何よりも右の固結を溶解するに従って、近視眼は全治するに見て明かである。乱視も同様の原因であるが、只(ただ)乱視の方は、浄化の為人により固結状態が絶へず動揺し、血管を不規則に圧迫する為、視力も動揺するからである。又底翳(そこひ)は眼底に毒素が溜結し、視神経を遮断するから見へないのである。白内障、緑内障は、眼球そのものに毒素が固結するので、之も放置しておけば自然に溶解し全治するが、医療は点眼薬や眼球注射等を行ふから、此(この)薬毒の為毒素は固(かた)まって了(しま)ひ、治るべき眼病も治らない結果になるのである。そうして凡(すべ)ての眼病は、頭脳に集溜した毒素が、出口を求めて眼球から排泄されやうとし、一旦眼球に集中し、再び溶けて膿、目脂(めやに)、涙等となって出るのであるから、放任しておけば長くはかかるが、必ず治るものである。又トラホームは頭脳の毒素が眼瞼(まぶた)の裏の粘膜から排泄されやうとし、発疹となって排膿されるので、之も自然に簡単に治るものである。
 次に鼻に関する病であるが、鼻茸(はなたけ)、肥厚性鼻炎、鼻加答児(カタル)等は、何(いず)れも頭脳の毒素が一旦鼻の両側、鼻の奥、鼻口等に集溜し、排泄されるのであるから、之も自然に治癒すべきを、医学は種々の逆法を施す結果、治らない事になるのである。又中耳炎は耳下腺及び淋巴腺附近の毒結が高熱により溶解穿骨(せんこつ)し、一旦中耳に入り、鼓膜を破って排泄されるそれらの痛みであるから、之等も二、三日そのままにしておけば、順調に治癒されるのである。
 次に扁桃腺炎であるが、之も淋巴腺附近の毒素が、日を重ねるに従ひ、扁桃腺に固結し高熱によって溶解、粘膜を破って排泄されるといふ極く簡単な浄化作用で結構なものであるが、医学はルゴール等の塗布薬を用ひ、浄化を妨害するので拗(こじ)れると共に、遂に膨大し手術の止むなきに至るのである。故(ゆえ)に読者諸君は試みに、今度扁桃腺の発(おこ)った場合、何もせず放っておいてみられたい。すると短時日で順調によく治って了(しま)ふばかりか、発(おこ)る毎(ごと)に段々軽くなり、遂に全治するのである。之は私が慢性扁桃腺炎を治した経験と、多数の人に教へた結果、例外なく根治したにみても確実である。
 茲(ここ)で面白い事がある。それは多い病気とは言へないが、割合厄介なものに歯槽膿漏があるが、之も淋巴腺附近の毒素が、歯茎を目掛けて集溜し、血膿となって排泄されやうとする一種の浄化であるから、私は斯(こ)んな汚ないものはないといふのである。それは元々尿の古くなったものが、口中から出る訳だからである。之を治すのは訳はない。歯茎を固いブラシで摩擦すれば、血膿が出るだけ出て、それで治って了(しま)ふものである。
 右によっても分る如く、最初に述べた寒冒の原因である肩から上に固結する毒素は、凡(すべ)て腎臓が元である事は明かである。としたら寒冒も結核も肺炎も殆(ほと)んどの病気は腎臓萎縮が原因である事が判ったであらう。処がそればかりではない。肋膜炎も、腹膜炎も関節リョウマチも神経痛も婦人病も勿論そうであり、カリヱスも、肝臓病も、黄疸も、糖尿病も、胆嚢(たんのう)、腎臓、膀胱内の結石も、喘息も、中風も、小児痳痺も、精神病もそうである。としたら実に腎臓萎縮を起さないやうにする事こそ、健康の第一条件である。以上の病気は順次説く事にするから、それを読めば尚(なお)よく判るであらう。
 此(この)理によって、腎臓を完全に働かせる事が肝腎で、それには腎臓萎縮の原因である固結を、溶解除去すると共に、作らないやうにする事である。処が現在の如何(いか)なる療法によっても不可能であるが、独り本教浄霊によれば可能であるから、此(この)一事によっても、病なき世界は期待して誤りないのである。

 主なる病気(二)

  肋膜炎と腹膜炎
 肋膜炎は、医学でも言はれる如く、肺を包んでゐる膜と膜との間に水が溜るので、之が湿性肋膜炎と言ひ、膿が溜るのを化膿性肋膜炎と言ひ、何も溜らないのに膜と膜との間に間隙(かんげき)を生じ、触れ合って痛むのを乾性肋膜炎と言ふのである。湿性の原因は、勿論胸を強打したり、器械体操の如き手を挙げて、力を入れる等が原因となって発(おこ)るのであるが、何の原因もなく偶然発(おこ)る事もある。此(この)病気である膜と膜との間隙(かんげき)に溜る水とは勿論尿であって、医療は穿孔(せんこう)して水を除(と)るが、此(この)方法は割合奏効する事もある。然(しか)し之も癖になり、慢性となり易いが、そうなると水が膿化し化膿性肋膜炎に転化する。又初めから膿の溜るのもあるが、何(いず)れにせよ慢性になり易く、大抵は穿口(せんこう)して其(その)穴から毎日排膿させるのである。然(しか)し斯(こ)うなると仲々治り難(にく)く、重症となり殆(ほと)んどは死は免(まぬが)れないが、此(この)化膿性は薬毒多有者が多い事は勿論である。
 湿性は最初高熱と胸の痛みで、深い呼吸をする程余計痛むが、反(かえ)って水が多く溜ると無痛となるもので、之は膜の触れ合ひがなくなるからである。又尿の出も悪くなるのは勿論で、此(この)病気の特異性は、眠い事と盗汗(ねあせ)であるが、此(この)盗汗(ねあせ)は非常によいので、之は溜った水が皮膚を透して出るのであるから、放任しておけば出るだけ出て治るものである。之を知らない医学は盗汗(ねあせ)を悪いとして停めようとするから治らなくなるので、如何(いか)に誤ってゐるかが判るであらう。又化膿性は膿が肺に浸潤して痰となって出るのであるから、之も自然にしておけばいいのである。乾性肋膜炎は滅多にない病気で医診は肋間神経痛をよく間違へるやうであるが、之も簡単に治るものである。よく肋膜炎から肺結核になる人も多いが、之は肋膜の水や膿が肺へ浸潤し、安静其(その)他の誤った手当の為、肺の中で固(かた)まって了(しま)ふ其(その)為であるから、最初から何等手当もせず放任してをけば結核にはならないのである。
 次に腹膜炎(別名腹水病)は、肋膜と同様腹膜と今一つの膜との間に水が溜って、頗(すこぶ)る膨大になるものである。処が医療は穿孔(せんこう)排水方法を採るが、之が非常に悪く、排水すると一旦はよくなるが、必ず再び水が溜る。すると又除(と)る、又溜るといふやうに癖になるが、困った事には溜る期間が段々短縮され、量も其(その)度毎(ごと)に増へて行くので、何回にも及ぶと益々膨大、臨月の腹よりも大きくなるもので、斯(こ)うなると先(ま)づ助かる見込はないのである。此(この)原因は萎縮腎であるから、萎縮腎を治さない限り全治しないのは勿論である。
 又化膿性腹膜は、薬毒が膿となって臍(へそ)を中心に、其(その)周囲に溜結するのであるから、腹水の如き膨満はなく、反(かえ)って普通より腹部は低い位である。之は押すと固い処が所々にあって、圧痛があるからよく分る。然(しか)し慢性は軽微の痛みと下痢であって、非常に長くかかり、治るのに数年掛かる者さへある。処が医療は薬で治そうとして服薬をさせるから、実は毒素を追加する事になるので、治るものでも治らない事になって了(しま)ふ。そうして恐ろしいのは彼(か)の急性腹膜炎である。此(この)病気は急激に高熱と共に激痛が伴ひ、殆(ほと)んど我慢が出来ない程で、患者は海老の如く身を縮めて唸(うな)るばかりである。医療は切開手術を行ふが、之は成績が甚だ悪く、近頃は余り行はないやうである。之も本療法によれば一週間乃至(ないし)二週間以内で完全に治癒するのである。之は旺盛な浄化であるから青年期に多いのは勿論である。
 そうして此(この)化膿性腹膜といふ病気は、人により重い軽いはあるが、全然ない人は先(ま)づないといってよからう。茲(ここ)で注意すべきは、よく禅や腹式呼吸、其(その)他の意味で腹に力を入れる人は、そこに毒素が溜結し、腹膜炎が発(おこ)り易いから注意すべきである。

 喘息

 喘息に関しては、医学では全然判ってゐないのである。といふのは医学に於ける喘息の説明は、殆(ほと)んど問題になってゐないからである。ヤレ、アレルギー疾患だとか、迷走神経の緊張だとか、神経過敏性とか、そうかと思へば食物とか、土地とか、中には部屋の構造、壁の色まで関係があるといふのだから、寧(むし)ろ滑稽(こっけい)でさへある。従って成可(なるべ)く詳しく説明してみよう。
 医学でもいふ如く、喘息は大体二種ある。気管支性と心臓性(近来此方(こちら)はアレルギー性ともいふ)とである。先(ま)づ心臓性からかいてみるが、之は最初横隔膜の外部に、薬毒が固結するのである。それに浄化が発(おこ)るや微熱によって溶解、液体状となり、肺へ浸潤して喀痰(かくたん)となって出ようとするが、此(この)場合横隔膜部は肺臓から距離があるので、液体の方から浸潤する事が出来ない為と、肋間に毒結のある場合浄化によって液体となったが、人により肺膜の厚い場合容易に浸潤し難いので、肺の方から最大限に拡がり吸引しようとする。そのやうに大体右の二つの原因であるといふ訳は、肺は其(その)様な猛烈な運動の為、肝腎な空気を吸ふ力が減殺されて、窒息状態となるのである。何よりも其(その)際肺に侵入した毒液が、咳と共に痰になって出ると、発作は一時楽になるといふ事や、又肺炎に罹(かか)ると一時快(よ)くなると言はれるが、之は高熱の為固結が溶解され、痰になって出るからである。右の理が間違ってゐない事は、何よりも先(ま)づ心臓性喘息患者の、横隔膜部を指で探れば、必ず固結を見る事である。
 次に、気管支性喘息であるが、之は肋骨附近に固結してゐる毒結が、浄化によって少しづつ溶けるので、それをヤハリ肺の方から吸引しようとして肺臓は猛烈なポンプ作用を起す、それが咳であるから、之によって痰が排泄され、一時快(よ)くなるのである。然(しか)し痰の量が多く出れば出る程、短期間に治るのであるが、それを知らない医学は、極力固(かた)め療法を行ふので、少しづつしか痰が出ないばかりか、薬毒も追加されるのと相俟(あいま)って、治り難(にく)くなり、慢性となるのであるから、丸で笊(ざる)へ水を汲んでゐるやうなもので、人により何十年も苦しんで治らない者はそういふ訳である。之を考へたなら患者も医師も、実に気の毒の一語に尽きるが、何とか分らしたいと常に思ってゐるのである。

 肝臓、胆嚢(たんのう)、膀胱の結石

 医診でよく言はれる肝臓病といふのは、実は誤りで、肝臓そのものには異状がないので、只(ただ)肝臓の外部に薬毒が固結してをるのを間違へたものである。然(しか)し勿論其(その)毒結が肝臓を圧迫してゐるので、苦痛であるのみか、之が黄疸の原因ともなるから、始末が悪いのである。勿論右の如く毒結によって、肝臓を圧迫する以上、肝臓の裏にある胆嚢(たんのう)も圧迫されるから、胆嚢(たんのう)の中にある胆汁が滲出(しんしゅつ)し全身に廻る。それが黄疸である。処が黄疸は皮膚の変色ばかりの病ではなく、胃の活動をも阻害させる。といふのは胆汁は胃の消化を助ける為、絶へず輸胆管を通じて、胃に送流してゐるに拘(かか)はらず、右によって胆汁の供給が減るからである。故(ゆえ)に此(この)病気を本当に治すには、原因である肝臓外部の毒結を溶解し、排泄させるより外(ほか)に方法はないが、医療ではそれが不可能であるから、一時的緩和法によって、小康を得るより手段はないのである。
 茲(ここ)で、結石に就(つ)いてかいてみるが、最も多いのは胆嚢(たんのう)結石であって、之は胆嚢(たんのう)の中へ石が出来るので、その石が胆汁と共に胃に向って流入せんとする際、輸胆管通過が困難なのでそれが堪へられない激痛となるのである。従って医師も特に治療困難な病気としてゐる。近来細い針金様の機械を作り、咽喉(のど)から胃を通じて、捕捉し出すといふ事を聞いてゐるが余り効果はないやうである。処が石の小さい場合、通過下降し、腎臓にまで流入するので、腎臓内の尿素が附着し、段々大きくなってゆき、茲(ここ)に腎臓結石となるのである。そうして困る事には、結石は腎臓活動の為、腎臓壁に触れて疵(きず)が出来る。そこへ尿が泌みるから痛みと共に出血するので、之を医診は腎臓結核といふのである。而(しか)も結石は漸次(ぜんじ)育ってゆき、余り大きくなると致命的となり、医療は手術によって片一方の病腎を剔出(てきしゅつ)するのであるが、其(その)時分は非常に固い石となってをり、之を細工をして指環(ゆびわ)やカフスボタン等に作られた物を見た事があるが、頗(すこぶ)る光沢があって宝石に見紛(みまが)ふばかりである。又小さい内膀胱に流入し、腎臓に於けると同様育ってゆく、之が膀胱結石である。処が最も困る事には、其(その)石が膀胱の入口へ痞(つか)へる事がある。それをうまく通過しても、今度は尿道口に痞(つか)へる。両方共尿の排泄を止めるから、尿は漸次(ぜんじ)下腹部に溜り腫(は)れるので、医師はブーヂを挿入するが、之も尿道口だけの閉塞(へいそく)なら奏効するが、膀胱口の方は仲々困難なので、遂に生命に関はる事となるのである。
 茲(ここ)で、最初の胆嚢(たんのう)結石の原因をかいてみるが、之は曩(さき)に述べた如く、腎臓から滲出(しんしゅつ)する薬毒が、漸次(ぜんじ)上部に移行する際、胆嚢(たんのう)の裏面から胆嚢(たんのう)内へ滲透(しんとう)するので、其(その)毒素と胆汁と化合して石となるのである。従而(したがって)、之を治すには根本である背面腎臓部の毒結を溶解し、腎臓を活潑(かっぱつ)にさせ、余剰尿を作らないやうにする事で、それより外(ほか)に方法はないのである。従って本浄霊法によれば、割合簡単に石は分解され、砂の如くなって、尿と共に排泄されるので、短期間に全治するのである。

 神経痛とリョウマチス

 単に神経痛といっても色々あるが、それは勿論場所によるのである。然(しか)し普通は手や足や肋間等でリョウマチスを併発する場合も多く、要するに此(この)病気は、外部的神経が痛むだけで、内臓は何ともないのである。只(ただ)特種のものとしては骨髄炎の痛みで、之は薬毒が骨に固着しそれの浄化である。又肋間神経痛といふものも此(この)名称は少々的外(まとはず)れである。といふのは医学でいふ肋間神経痛は、本当は肋骨神経痛である。何故なれば原因は肋骨に薬毒が固着し、それが浄化によって溶け始め、痰となって肺に侵入しやうとする場合、神経を刺戟(しげき)し痛むのである。此(この)病気は激しく発(おこ)る場合非常に痛み、呼吸すら困難になる事がある。然(しか)し之は又非常に治りいいものである。
 又神経痛の中には、淋病が原因で発(おこ)る事もある。之は大抵腕の関節に多いが、割合順調に治るものである。そうして一般の神経痛は注射等の薬毒が原因で、痛みを我慢して自然にしておけば必ず治るものであるが、そうすれば毒素は漸次(ぜんじ)一ケ所に集溜し、紅く腫(は)れて自然に穴が開き、そこから排膿して治るものである。茲(ここ)で医学でも気が付かないものに、パピナール注射の中毒がある。全身的に皮膚が痛む症状で、之も自然にして置けば簡単に治るのであるが、医学は反(かえ)って種々の注射などするから反(かえ)って治り難(にく)くなるのである。
 次はリョウマチスであるが、之は人も知る如く、手、足、指等の関節が赤く腫(は)れ上り、非常に痛むもので、原因は勿論薬毒が関節へ集溜し、腫物となって排泄されようとする。その痛みで患者は堪へ難く、悲鳴を挙げる位である。処が医療は患部を絶対動かぬやう固(かた)める手段を採るので、固(かた)まって了(しま)えば痛みはなくなるが、その代り関節は動かなく、棒のやうになって了(しま)ひ一種の不具者となり、一生涯跛行(はこう)となるのであるから、恐ろしい病気の一種である。此(この)点などにみても、医学は病気を治すのではなく、苦痛だけを治して不具者にする訳である。処が我浄霊法によれば、いとも簡単に短時日で全治させ得るのであるが、困る事には氷冷、塗布薬、注射等をした者はそれだけ長くかかるので、ツマリ散々金を費(つか)った揚句不具者とされるのだから、厄介な世の中である。従って最初から何等手当もせず浄霊法のみ施せば、一週間以内に完全に治るのである。

 上半身の病気と中風

 上半身の病気に就(つい)ては大体かいたが、未(ま)だ書き残したものがあるから、之からかいてみるが、先(ま)づ今日最も恐れられてゐる病気としては中風であらうから、それを最初に説く事とする。
 今日、若い者は結核、老人は中風といふやうに、相場が決ってゐるが、全くその通りで、誰しも老年になるに従って、最も関心を持つものは中風であらう。中風は勿論脳溢血からであるが、此(この)病も医学では全然判ってゐないばかりか、判ってもどうする事も出来ないのであるから厄介である。先(ま)づ脳溢血からかいてみるが、脳溢血の原因は、頸(くび)の固結であって、特に左右何(いず)れかの延髄部に長年月を経て毒血が固(かた)まるのである。従って脳溢血の素質を知るのは雑作もない。右の部を指で探れば固結の有無が判る。それは右か左かどちらかが、必ず大きく隆起してをり、押すと軽い痛みがある。処がそこに一度浄化作用が発(おこ)るや、固結は溶解され、血管を破って頭脳内に溢血するのである。溢血するや忽(たちま)ち脳を通過して、反対側の方へ流下し、手及び足の先にまで下降し、速(すみや)かに固(かた)まって了(しま)ひ、半身不随即ち手も足もブラブラとなって了(しま)うのである。重いのは腕も手も引っ張られるやうになり、内側へ肱(ひじ)は曲り、指迄曲ったままで容易に動かなくなる。そうして拇指(ぼし)が一番強く曲り、四本の指で拇指(ぼし)を押へる形になる。処が面白い事には、足の方は反対に曲らないで、伸びたまま足首などダラリとなって了(しま)う。それだけならいいが、重症になると舌が吊って、呂律(ろれつ)が廻らなくなり、頭もボンヤリして痴呆症同様となり、目までドロンとして、悪い方の側の眼力は弱化し、見へなくなる者さへあるといふのが主なる症状で、全く生ける屍となるのである。
 処で、医学の最も誤ってゐる点は発病するや何よりも急いで頭脳を氷冷するが、之が最も悪いのである。医学では之によって、溢血の原因である血管を、速く収縮させやうとするのであるが、之が大変な間違ひで、本来溢血は毒血が出るだけ出れば忽(たちま)ち止血するもので、そうなるには数分間位である。従って止血させる必要などないばかりか、反(かえ)って氷冷の為、溢血後まだ残留してゐる頭脳内の毒血を、より固(かた)めて了(しま)う事になるから、頭脳内機能の活動は停止される以上、より痴呆症的になるのである。それを知らない医療は、氷冷を何日も続けるのであるから、其(その)結果はどうなるかといふと、頭脳を冷し過ぎる為、凍結状態となって了(しま)うのである。考へても見るがいい。人体中最も重要な機能を氷結させるとしたら生きてゐる事は到底出来ないに決ってゐる。此(この)為生命を失ふ者の数は実に多いのである。全く角(つの)を矯(た)めて牛を殺すの類(たぐ)ひで、之こそ病気の為の死ではなく、病気を治す為の死であるので、何と恐るべき迷蒙ではなからうか。之は私の長い間の多数の経験によっても明かな事実であって、脳溢血だけで死ぬ者は滅多にないのである。
 茲(ここ)で脳溢血に附随する種々な点をかいてみるが、医学ではよく転(ころ)ぶと脳溢血が起り易いとされてゐるが、之は逆であって、脳溢血が発(おこ)るから転ぶのである。つまり転(ころ)ぶのが先ではなく、脳溢血が先なのである。よく転(ころ)んだり、梯子段(はしごだん)から落ちたりするのは溢血の為の眩暈(めまい)である。そうして最初の脳溢血が幸ひにも、一時小康を得て歩けるやうになっても、医師は転(ころ)ぶのを非常に警戒するのは、右の理を知らないからである。又医学に於ては頭重や一部の痳痺、眼底出血、耳鳴等があると溢血の前徴として予防法を行ふが、右の症状は医学のいふ通りであるが、其(その)予防法は滑稽(こっけい)である。それは身体を弱らせやうとし、減食、運動制限等を行はせるが、之は弱らして浄化を発(おこ)さないやうにする手段である。又再発を予防する手段も同様であるが、之等も発病を少し延ばすだけで、何(いず)れは必ず発病もするし再発も免(まぬが)れないのである。又近来瀉血(しゃけつ)療法といって、発病直後にそれを行ふのを可としてゐるが、之も見当違ひで、最早(もはや)溢血の毒血はそれぞれの局所に固(かた)まってゐるのであるから、瀉血(しゃけつ)は何等関係ない処から出血させるので、其(その)為貧血して、大抵は数分後死ぬので、此(この)例は近頃よく聞くのである。
 今一つ注意したい事は、高血圧が脳溢血の原因とよく言はれるが、之も甚だしい錯誤で間接には多少の関係はあるが、直接には全然ないのである。その訳を実地に就(つい)てかいてみるが、以前私が扱った患者に、六十歳位で、当時講談社の筆耕書を三十年も続けてゐたといふ人があった。此(この)人の言うのは、自分は六年前血圧を計った処、何と三百あったので、医者も自分も驚いたが、血圧計の極点が三百であるから、実はもっとあるのかも知れないと思った位である。その為医師から充分安静にせよと言はれたが、自分は勤めをやめると飯が食へないし、自覚症状もないから、毎日此(この)通り休まず勤めてゐるが、別に変った事はない、といふので私も驚いたが、よく見ると左右特に右側が酷(ひど)く、腭(あご)の下に鶏卵大に盛上ってゐるゴリゴリがあったので、ハハァー之だなと思った。といふのは此(この)筋は腕へ繋がってゐるので、血圧計に表はれた訳であるが、本当の脳溢血の原因である固結は、最初にかいた如く、延髄部の毒血であるから右は見当違ひである。処が中風といっても、斯(こ)ういふ別な症状もあるから知っておくべきである。それは左右何(いず)れかの頸部(けいぶ)淋巴腺に固結がある場合、之が浄化によって溶解するや、頭脳の方とは反対に其(その)側の下方へ流下し、中風と同様の症状となるのであるが、之は脳には関係のない事と、割合軽症な為、医師も首を捻(ひね)るが、之も医療では治らないと共に、逆療法を行ふ結果、反(かえ)って悪化し、先(ま)づ癈人(はいじん)か死かは免(まぬが)れない事になる。此(この)症状を吾々の方では逆中風と言ってゐる。

 脳貧血其(その)他

 次に脳貧血をかいてみるが、之は脳溢血と反対であって、脳溢血は毒血が頭脳に入り、脳の血液が増へるに反し、之は脳の血液が減少の為発(おこ)る病気である。では何故減少するかといふと、人体は絶へず頭脳に向って、送血されてゐるので、之が一定量なら何事もないが、其(その)量が減ると頭脳機能の活動が鈍る。それが脳貧血である。
 右の如く量が減るといふ事は、頭脳へ送血する血管が、頸(くび)の周りにある毒結の圧迫によるからで、此(この)固結を溶解しなければ治らないのは勿論である。処が医学ではそれが不可能の為、一時的姑息手段をとるより致し方ないのである。斯様(かよう)な訳で脳貧血の症状は頭痛、頭重、圧迫感、眩暈(めまい)等で、嘔吐感を伴ふ場合もあり、本当に嘔吐する事もある。中には汽車、電車、自動車の音を聴いただけでも、眩暈(めまい)や嘔吐感を催す者もある。然(しか)し之は医学でもいふ如く、割に軽い病気で心配はないが、其(その)割に苦痛が酷(ひど)いものであるから、初めの内は相当神経を悩ますものである。
 此(この)病気を知るのは最も簡単である。発病するや目を瞑(つむ)り、額に油汗をかき、嘔吐感を催す等で、其(その)際掌(てのひら)を額に当てて見ると、普通より冷いのでよく判るのである。そうして浄霊の場合、首の周囲を探ってみると、必ず固結があるから、そこを溶かせば間もなく快復する。又発病するや枕無しで仰臥(ぎょうが)すると、頭へ血が流れるから多少の効果はある。今日最も多いとされてゐる神経衰弱も、脳貧血が原因である事は言ふ迄もない。

  睡眠不足
 睡眠不足とよく言はれるが、之は結果であって、睡眠困難といふのが本当であらう。然(しか)し之も病気とは言へないが、病気の原因になる事が大いにあるから、仲々馬鹿にはならないものである。此(この)原因は全く一種の脳貧血であって、延髄部に固結が出来、それが血管を圧迫し、脳貧血を起させ、睡眠不能となるのであるが、此(この)固結は右側の方が多く、左側は少ないもので、之を溶かす事によって百発百中必ず治るのである。
 処が此(この)原因である脳貧血は、前頭部に限るので、何故それが睡眠困難の原因になるかといふと、其(その)部に霊が馮依(ひょうい)する為であって、之に就(つい)ては最後の霊の項目に譲る事とする。然(しか)し此(この)病気の恐ろしい事は、往々精神病の原因になるので、急速に治す必要がある。医学では勿論原因すら不明であるが、何よりも精神病の初めは、必ず睡眠不足が長く続くのである。従って睡眠が普通になると、治り始めるにみても分るのである。

  耳鳴
 之も多い症状であるが、医学ではどうする事も出来ない。併(しか)し別段命に関はる程の病気ではないから、大抵放って置くが割合辛いものである。此(この)原因もやはり延髄部の固結で、之が不断の微弱な浄化によって、溶ける其(その)音が耳に響くのであるから、之も其(その)部の固結を溶解すれば液体となって、毒素は嚏(くしゃみ)によるか又は自然に鼻汁となって出て快(よ)くなるのである。稀(まれ)には耳下腺附近に固結が出来、其(その)浄化の為もある。

  其(その)他のもの
 之は少ない病気だが、心臓が元で脳に影響する症状がある。それは心臓弁膜症などある人が、一寸(ちょっと)した事で動悸と共に眩暈(めまい)が発(おこ)るので、之は何が為かといふと、心臓の周囲即ち胸部、横腹、肩胛骨下部等に固結のある場合、それに浄化微熱が発(おこ)るので、心臓が昂奮(こうふん)し、頭脳に反射するからである。
 次は歯に関する病気であるが、之は歯に付ける薬毒が滲透(しんとう)して、頭に上る場合、中耳炎の際の薬毒、扁桃腺や淋巴腺手術による消毒薬、眼病の際の点眼、注射、手術の消毒薬等が、頭脳迄も犯すので、右何(いず)れも慢性的頭脳の病原となるのであるが、其(その)他に斯(こ)ういふ事もある。それは背部や胸部等に出来た腫物を手術した為、其(その)時の消毒薬が頭脳に迄滲透(しんとう)し固(かた)まるので、その手術が局部の前部、背部の関係で、前頭部又は後頭部の悩みとなるのである。要するに上半身に於ける手術の際の消毒薬が、頭脳の病原になる事が分ればいいのである。

  扁桃腺炎
 世間よく扁桃腺炎を根治する目的で、扁桃腺を除去する事が、常識のやうになってゐるが、最近の学説によれば、扁桃腺は貴重なもので、除去しない方が可(よ)いとされて来たといふ事である。全く除去した結果は他に悪影響を及ぼす事が分ったからで、実に喜ばしい限りで、私が長年唱へて来た説が、漸(ようや)く認められるやうになったもので、満足に堪へないのである。
 そこで扁桃腺といふ機能の意味から扁桃腺炎の原因に就(つ)いてかいてみるが、人間は誰しも上半身の毒素は、頸部(けいぶ)淋巴腺に最も集中し易いので、そこに毒素の溜結が出来るので、大なり小なり此(この)溜結のない人は殆(ほと)んどないといってよかろう。すると此(この)溜結毒素は出口を求めやうとし、少しづつ溶解し、一旦固(かた)まる処が扁桃腺であるから、或(ある)程度固(かた)まるや、高熱が出て溶解し、自然に穴が穿(あ)いて、毒素は排除されるのであるから、扁桃腺なるものは実に上半身毒素の掃け口とも云(い)っていいもので、若(も)し扁桃腺がなくなったとしたら、毒素は止むなく他の部に溜結する事となる。之が脳神経衰弱や中耳炎、歯痛、鼻の病気等の原因となるのであるから、結局小の虫を殺して、大の虫を助けるといふ結果になる。何よりも扁桃腺除去後数年間は風邪など引かないので効果あったやうに思はれるが、何ぞ知らん年月が経つに従って色々な病気が発(おこ)るのである。処が、其(その)原因が分らない為、仕方なしいい加減な病原を付けるのである。