昭和29(1954)年10月10日改訂版
     

        目   次
    〔第 一 講〕
     宇 宙 の 構 成    ・・・・・・・・・・・・・・
     夜 昼 の 転 換    ・・・・・・・・・・・・・・
     大 自 然 の 力    ・・・・・・・・・・・・・・
     大自然の法則(霊主体従) ・・・・・・・・・・・・・・
     死とは何ぞや       ・・・・・・・・・・・・・・
     生とは何ぞや       ・・・・・・・・・・・・・・

    〔第 二 講〕
     御浄霊に就いて      ・・・・・・・・・・・・・・
     病気とは何ぞや(浄化作用)・・・・・・・・・・・・・・
     薬毒に就いて       ・・・・・・・・・・・・・・
     黴菌に就いて       ・・・・・・・・・・・・・・
     栄養に就いて       ・・・・・・・・・・・・・・
     病気と大自然       ・・・・・・・・・・・・・・
     内臓の三大機能      ・・・・・・・・・・・・・・
     病 気 症 状      ・・・・・・・・・・・・・・
      発熱 痛み 掻痒苦 不快感 嘔吐 下痢 浮腫 盗汗 めまい 不眠症 憂鬱症 麻痺 咳嗽 冷え 便秘 血痰 喀血
     病 気 と 霊      ・・・・・・・・・・・・・・
       肺結核 精神病 癲癇 夢遊病 小児麻痺 胃癌 カリエス 眼病
     平均浄化に就いて     ・・・・・・・・・・・・・・
     若 返 る 法      ・・・・・・・・・・・・・・
     真 の 健 康 法    ・・・・・・・・・・・・・・
     御浄霊に就いての注意   ・・・・・・・・・・・・・・
     人間の健康を判別する法  ・・・・・・・・・・・・・・

    〔第 三 講〕
     人 生 の 目 的    ・・・・・・・・・・・・・・
     御 神 霊        ・・・・・・・・・・・・・・
     生 と 死        ・・・・・・・・・・・・・・
     霊 界 の 構 成    ・・・・・・・・・・・・・・
     幽  霊         ・・・・・・・・・・・・・・
     霊界人の面貌       ・・・・・・・・・・・・・・
     顕 幽 不 離      ・・・・・・・・・・・・・・
     天 狗 界        ・・・・・・・・・・・・・・
     龍 神 界        ・・・・・・・・・・・・・・
     邪 神 界(兇党界)   ・・・・・・・・・・・・・・
     善 と 悪        ・・・・・・・・・・・・・・
     正神と邪神との信仰の結果 ・・・・・・・・・・・・・・
     守 護 神        ・・・・・・・・・・・・・・
     祖 霊 の 戒 告    ・・・・・・・・・・・・・・
     死んだ人の悪口を言わぬ事 ・・・・・・・・・・・・・・
     霊 層 界        ・・・・・・・・・・・・・・
     自然農法(無肥料栽培法) ・・・・・・・・・・・・・・
     本教の組織と運営     ・・・・・・・・・・・・・・
     結  び         ・・・・・・・・・・・・・・

     (附 録)浄霊の実際に就いて



      〔第 一 講〕

 これから教修を始めさせて戴きよす。
 世界救世教は物質文化の進歩と相俟って宗教的文化の建設を促進し、造物主の御目的であり、又吾々人類の理想世界である地上天国建設を目的とする団体であります。
 それでは地上天国建設とは、どういう事かと申しますと、要するに世界人類から病気と貧乏と争を絶無にしで、全人類が何の不安もなく安心しきって暮す事の出来る世界、即ち不審者の一人も居ない幸福者ばかりの世界を造らんとする事であります。
   しかし人は嗤(わら)うでありましょう。そんなうまい話があるはずはない。過去数千年の歴史を見、又今日のこの世界の現状を見る時、あまりにも現実とかけ離れた話ではないか……有史以来の文化の変遷を見る時、そんな大転換が起り得るはずがない。吾々は常識を持っている。もし実現するならば、それは一大魔術である。催眠術にかかってほんの瞬間だけの夢でも見なければそんな馬鹿な話があろうはずがない。だから世界救世教は信じられない、と言うのでありましょうが、これもごもっともな事であります。誰でも最初入信当時はほとんど同様な考え方を致しでおります。この事は万人が万人そう思うのは当然の事であります。全く一大魔術であります。魔術でなくて何でありましょう。
   しかしこの一大魔術を行うには、これを行うものがなくてはなりません。到底人の力ではこの理想世界は出来るものではありません。この大魔術者の本体を突込んで調べて見なくてはなりません。この一大魔術者こそ観音様、即ち光明如来様、即ち五六七(みろく)大御神であり、救世主であります。この救世主の神様が振われ給う御力によってこそ、初めてこの理想世界が実現するのであります。この御神力こそ生きとし生ける者を救う力でありよす。即ち人類救済の一大力が今日この現実世界に出現しているのであります。
   これを要するに、造物主、即ち主神の目的であり、人類の理想である処の地上天国化は、この救いの力である処の御神力の出現によって初めて出来る事を、先ず皆様の顕の中によくよく入れて戴きたいのであります。
   飜ってみまするに、この現在の実状のままで今直ぐ一大転換して地上天国がもし出来るとしたら、それこそ人類はまことに好都合で何の心配もありませんが、世の中には棚から牡丹餅式の旨い事はあるものではありません。地上天国という新しい理想世界が建設される前には、どうしても今日までの旧世界の一大清算がなくてはならないのであります。ちょうど新しい家を建てようとするには旧い家を一旦破壊して、昔の土地は清浄化されなくてはなりません。勿論旧い家の中にも役立つものも相当あるでありましょうから、それはそれで残されるのであります。その取捨選択は神様がおやりになる事は当然の事であります。故に人間においても、来たるべき新世界に役立つ者は残されるし、役立たぬ者は滅亡させられるのであります。即ち吾々人間は、この来たるべき新世界に残される者、即ちこの世界に役立つ者として生き残らなければなりません。即ち旧世界(地獄世界)から新世界(天国世界)への切替時が今日来たのであります。キリストの言った「世の終り」とか、又「最後の審判」の時が今や切迫して来た事を思わせるのであります。又釈迦の唱えた仏滅とか法滅尽とか言った事は、今日漸く来た感があります。聖書にあるハルマグドンの戦とは今日の事と思考されるのであります。
   吾人はすべからく過去の過ち、即ち意識的、無意識的のもの、又は祖先伝来の過ちを改め、百八十度の転換を行い、そうして神様の御眼鏡に叶った、即ち神を畏れる、立派な、正しい人間にならなくてはなりません。それにはどうしても正しい神様を信仰するより外に方法はないのであります。その神様の御眼鏡に合格する人としての資格とは、病貧争絶無の世界に生存が出来得る人間でなくてはなりません。即ち病気のない真の健康人とならなければなりません。又貧乏から脱れた裕福な人間、和を好み争い事を嫌う人間にならなければなりよせん。この三つの資格を有する人間であれば神様は決して滅し給う必要がないばかりか、来たるべき新世界の有能人(役立つ人)として待遇される訳であります。しからば来たるべき新世界に生存してお役に立つ有能人としてのこの三大資格を得る方法があるかと申しますと、救世教こそその三大資格者を作るべく生まれたものであります。
   これから順を追って、神様の恩恵をお取次致したいと存じます。
   今日広い世の中を見まするに、本当に何らの不安もなく安心して日々を送っているものは殆んどないと言っても過言ではありますまい。その不安の中で一番先に考えられるのは、何と言っても人間の病気に対する苦悩心配でありましょう。だからこの三日間の教修も、この病気に対する説明が主となるのであります。僅か三日間の教修でありますから、到底本教の全貌は御判りにならないのも当然の事と存じます。それで教修が終られたならば、神様の御力を御取次出来る御守様を御授け致しますから、実地に病気を治して御覧になりながら、教会にお参りになったり、熱海、箱根の御本部にお参りになり、更に種々の御神書を拝読なる事によって、遂次本教の全貌の御会得が出来るようになります。
   それでは本教修会の力を入れている病気の解決から御話し申し上げたいと存じます。
   ここでちょっと学問について御話し申し上げたいのであります。学問にも生きた学問と死んだ学問とがあります。分り易く言えば学問のための学問は死んだ学問であり、学問を実社会に活用するのが生きた学問であります。但し真理の探究のための、学問は又別であり真重なものである事は言うまでもありません。まず学問とは今日学枚で、教科書を経(たて)とし実地を緯(よこ)として先生から教えられるのであります。が、その教えるところのものは先哲、学者が研究した結果構成されたものがその礎となって今日の学問の形態となったものであります。勿論新発見や新学説が現われては消え、現われては打破されつつその中の価値のある部分のみが残って来た事は皆様の御承知の通りであります。
   その当時は真理として受入れられていたものも、その後に到ってそれ以上卓越した新学説、新発見が現われた事によって跡形もなく消えたものもあり、今もって人類に役立ち、社会の福祉を増進しつつあるものもあります。それら一切の価値は「時」が決定してくれるものであります。この意味において現在絶対の真理とし、永久不変なものと確信しているものでも、それを打破る新学理が何時どんな人によって主唱されるかも分りません。ところがこういう事は昔からその例は少くないのでありますが、ともすれば新発見が現われた場合、その新発見なるものはそれまでの既成学理の型に当はまらないどころか、およそその反対の説が生まれる事があります。だからその価値がある訳でもあります。その価値も古い型を破る事の大きい程大きいのであります。このように旧学説が段々影が薄くなって行く事は、新しい学説が生まれたからであり、今まで真理と思ったのが葬り去られるという事は、それ以上の真理が生まれたからであります。かくして止りない文化の進展があるのであります。動力でも、電気やガソリンが最高のものであるとして、それ以上のものは当分ないと思っていたが、原子力の発見によりその応用研究を始めている現在であります。それと同様に病気を治す方法は西洋医学の学理応用以外には他には絶対にないと言いきる事が出来ましょうか。原子力応用の動力が生まれるように、医学に対しても新学説が今生まれたとしても不思議はないはずであります。それ故今医学に対する新学説が生まれたとしても、それを検討する事が当然であるにもかかわらず、世間は何ら研究をしないどころか、頭から迷信邪教だ、異端邪説だ、として目を光らせて来ているのであります。
   明主様は、二十有余年以前から医学に対する新学説を唱えられ、それを御著書として発刊なさると、たちまち当局の忌諱(きい)に触れ、今まで三回までも発禁となったのであります。吾々と致しましては誠に残念至極に存じましたが、これも“時代(ときよ)と時節、長いものには巻かれよ”として時の来るのを待つ外はありませんでした。当時明主様もおっしゃいました。『今私が思うままを書いたとしたら、その驚愕と弾圧はどれ程であろうか。ほとんど予想はつかないであろう。しかし一方巷(ちまた)を見る時、誤れる医学によって重難病に呻吟しつつある憐れな者が実に多数に上っている。この哀れな人々を私は今思い切って救ってやる事が出来ない。と言ってジッとしてただ傍観視する訳にもゆかない。誠にじれったい気持になる』と。
   しかるに今日の吾々は何という幸福者でありましょう。この明主様の山よりも高く海よりも深い大慈大悲の御心と御教えを高く掲げて、その真理を広く世間に御取次して述べ伝える事が出来るようになりました。
   ここでちょっと真理という事にといて述べさせて戴きます。
   真理というものは簡単なもので、決しで複雑なものではありません。複雑なもの程真理から遠ざかったものになるのであります。学問がなくては分らないと言うのもおかしなもので、真理は誰にでも分るものでなくではなりません。それ故本教の教え即ち真理は無学の人でもお分りになるのであります。
   いよいよこれから本論に入らせて戴きます。

      宇宙の構成

     まず我々は宇宙の構成から御話しなくてはなりません。この宇宙は三つの世界によって構成されております。即ち――
    ◎目に見える物質世界
    ◎目に見えぬ空気の世界
     この二つの世界は物質でありますから、一つにして現界と申します。
    ◎目に見えぬ未知の世界――即ち霊界があります。
     この三つの世界によって宇宙というものは構成せられているのであります。即ち人智の低い時代には物質世界だけは分っていましたが、人智が進むに従って目に見えぬ空気の世界、即ち空間が発見せられたのであります。しかし現代人は霊界なる世界が実在している事を知らないのであります。しかしながら霊とか霊気とか神霊とか幽霊とかいって、霊という文字は相当使われて来ていますが、その多くは宗教又は心霊科学の面に限られていました。それがため「霊」という言葉を使用しますと迷信のように見られ、却って霊を否定する事をもって識者の資格とさえ見られる現在であります。ところがこの度この未知の世界たる霊界の存在する事を、明主様によってはっきりと教えて戴いたのであります。
   そこで物質世界と空気の世界は有知世界(既に吾々が認識している世界)で、これを現界と言うのであります。そうしてこの現界の裏とでも申しましょうか、この目に見えぬ世界を霊界と申します。つまり宇宙の構成は霊界と現界とによって構成されているのであります。
   これから色々と御話を致しますが、この霊界なるものの存在を認識しない限り、到底私のお話は御理解が出来ないのであります。又、同時に霊という言葉も度々使われるのでありますから、これまた御認識出来なければ御納得が出来難いのであります。
   ただ今申し上げました通り、この宇宙は霊界と現界と密接不離の関係にあって、単独の霊界もなければ単独の現界もないのであります。又この宇宙における森羅萬象あらゆるものの一切は、三つの元素から成立っていて、この三つの元素を離れての存在物は一つもないのであります。あらゆるものの生成化育は、この「三つの元素の力」に依らないものはないのであります。しからば根本であるところのその三つの元素とは何であるか、と申しますと、それは火素、水素、土素であります。言い変えれば太陽と月と大地、即ち地球の各霊気であります。即ち太陽は火素が元であり、月は水素が元であり、大地は土素が元であります。即ち火素、水素、土素が三大元素であります。そうしてこの三つの元素の力が経と緯とに密合しているのであります。
   経(たて)とは天から地まで即ち太陽から月、地球というように三段階になっております。緯(よこ)とは吾々が住んでいるこの地上そのものの実体であります。それはどういう意味かと申しますと、この地球上における実世界は、空間と物質とによって存在しております。物質は人間の五感によってその存在は知る事が出来ますが、空間は長い間「無」とされていました。しかしその後文化の進歩によって、空気という半物質の有る事を知ったのであります。しかるに又、空気だけと思っていた空間に、今一つ他の元素がある事を明主様によって発見せられたのであります。これこそ世界的大発見でありまして、明主様はこの目に見えざる存在に対し「霊気」と名付けられたのであります。
   ここで断って置きたい事は、他の宗教で言っている霊界とか、生霊、死霊、憑霊等の説とか、霊科学者達が唱えている霊界とか、又ワード博士やオリヴァー・ロッジ卿等の言っている霊界や霊などと本教の説とは根本的に異なっている事を御承知置き願いたいので御座います。今我々が説く霊気なるものは、素晴しく進歩したもので、将来来たるべき昼の文化の根元をなすものであります。
   この事は明主様の御著書の中に相当詳しく説いてありますから、他日ぜひ読まねばならぬものであります。重ねて申し上げますが、あらゆる物はこの火素、水素、土素の三つの元素が、我々にはほとんど想像もつかない程の、極く極く小さい微粒子として融合調和し合って活動しているのであります。これが宇宙の実体であります。

      夜昼の転換

   これから御話を申し上げます事も、今申しました霊界なるものの存在を御認識になった事と考え御話を申し上げます。と申しますのも、この霊界なるものが今や“夜の世界から昼の世界へ転換しつつある事”を認識しなければ、病気を治す原理も到底お分りにならないのであります。この事は一番大切な事で、この夜昼転換の事象を知る事により、病気治しの原理も、過去数千年の文化の誤謬も、将来の世界の動向も分ることになって、心の安定が出来るのでありますから、御注意なさってお話をお聞き下さるよう切に御願い申し上げます。
   そもそも万有の原則として、現界におけるあらゆる事象は、既に霊界において発生し運動を起しているのであります。ちょうど人間が手足を動かす場合、既に意思が先に動いているのと同様の理であります。即ち現界の出来事は、すべて霊界の出来事が写って来るものでありまして、故に霊界においては、最近に至って一大転換が起りつつあるのであります。これを私共は“夜昼の転換”と称しております。
   即ち一日に昼と夜との別がありますが、実は一年にも十年にも、百年、千年、万年にも昼夜の別がありますが、しかしこれは霊界での出来事で、現界においては一日の昼夜のみが判然と知り得るに過ぎませんが、先程申し述べた理由によって、当然現界への反映が種々の形において現われて来るのであります。
   さて、今や霊界においては、何千年日か何万年目かに当然来たるべき、昼夜の切替えが来たのであります。この事はどうして分ったかというと、これは明主様が御霊感によって直接御知りになった事で、霊界の事は知る由もない私共では信ずる外はありませんが、この事を知らされて現実世界を見ると、全くこれは確かな事で、間違いではないという事が段々と御分りになるのであります。
   今まで霊界における世界は長い間夜でありました。夜の世界は現界と同様、暗くして定期的に月光を見るのみであります。勿論水素が多く、月が光を隠せば星の光のみとなり、それが曇れば真の暗黒となります。これが写る現界の出来事を見ても明らかであります。即ち今日までの世界の国々の治乱興亡の跡や、戦争と平和が交互に続く有様は、ちょうど月が盈(み)ちては欠ける事を繰返していると同様であります。しかるに天運循環して今まさに昼に転換しようとし、今はちょうど夜が明けて太陽の姿が地平線上に浮かび上ったとも申せましょう。その霊界の大転換が現界に写り転換する姿としては、人類が未だ経験した事のない、驚くべく、恐るべく、また喜ぶべき一大変化が、地球の極東日本から始まるのであります。日本においては今や夜の文化即ち既成文化の崩壊が開始されたのであります。政治、経済、芸術、教育、宗教等の各方面にわたって致命的行詰りを生じているのはそのためでもあり、またそれに続いて新しき昼の文化建設の胎動をも感する事が出来るのであります。本教の誕生とその発展はその核心を成すものであります。
   本来夜の世界とは闘争と飢餓と病苦に満ちた暗黒の時代を言います。昼の世界とは平和と裕福と健康の具備した光明の時代を言うのであります。しかしながら東天に昇り始めた太陽は、やがて大空の中心に到るのであります。それは何を意味するのでしょうか。即ち夜の文化の総崩壊であると共に、一方昼の文化が建設されて行く事であります。この事はそう長い時を要しないのであります。あるいは極めて近き将来かも知れません。
   この昼の文化、即ち宗教、政治、経済、教育、芸術等のあらゆる文化工作は、その時期が来ますれば、明主様によって発表されると存じます。即ち本教は単なる宗教ではなく、新しき科学でもあり、宗教と科学との完全なる一致という人類の理想を達成させる目的で着々実現させつつある超宗教でありますが、現代人の無理解に依る圧迫は覚悟の前であります。しかし今後真昼の世界が段々と近づくに従って、この破壊と建設の摩擦が益々旺盛になると言うよりも強烈になって参りますので、あらゆる事に悩みの出来る人々が激増して、実に恐ろしい時代が参る事も予想が出来るのであります。肉体的に言えば体内の毒素は、余すところなく段々と増えて来る火素に依り溶解し始め、病人が激増しまことにいやな結果が来ないと断言は出来ないのであります。戦争や空襲の比ではないでしょう。キリストの言った「火の洗霊」とは火素による洗霊と存じます。現在はまだ病気が局部的でありますが、やがては一度に全身的の大病となる事を想像する時、ただ神様に御縋りするより外に方法はないと存じます。この大変革の時を乗越すには、病気に対する原埋を知っていないと、どういう結果になるかは、皆様の御推察御判断にまつより致し方がないのであります。即ちこの転換期を乗越すには、「浄霊」の方法を自ら修得しておく事が一番肝要な事と存じます。この教修会も、今日生きて行くためと、将来来たるべき大峠を乗越す事の出来る方法と、はたまた皆様の近親者やこの地方の方々を一人でも多く御助けの出来るようにとの考えで、この教修会を開かせて戴いたのであります。「浄霊」という事については後で詳しく説明させて戴きます。

      大自然の力

    霊にも「霊の霊」と「霊の体」とがあります。人間の五感に依って知り得る範囲は「霊の体」の面に属するのであります。たとえば――電波、光波、音波等で、「霊の霊」は五感に触れる事の出来ないもの、即ち見えざる「光」であり「力」であります。この目に見えない又捉える事の出来ない、無にして無に非ざる存在――これを「幽幻力」と言うのであります。又これを「大自然の力」とも申します。この大自然の力、即ち幽幻力こそ――あらゆる力の本源であって、その力の中心としての主動力が宇宙意志であり主神の御力であります。この主神の御力を受けついで御揮いになるのが、明主様なのであります。この幽幻力こそ、絶対であり、無限であり、萬有の創造力でもあります。この自然力であり、幽幻力である神様の御力を知る事によってのみ初めて理想的なる人類文化の建設も可能であり、地上天国建設の可能も信ずる事が出来るのであります。即ち現在の科学を超越した超科学であり、現在の宗教を超越した超宗教とも言えるのであります。
    今日までの人間は、力と言えば物質力を最大と信じで来たのでありますが、これは大変な誤りで、物質力は如何なるものといえども限度があるという事に気付かなければなりません。有限力であって、無限力ではありよせん。「幽幻力」こそ無限力であります。
    私共が今行っています病気治し、即ち「御浄霊」も、この幽幻力の一部の現われに過ぎないのであります。まことに奇蹟の如き驚くべき治病力が発揮の出来るのも――この幽幻力であればこそ可能であります。単に人間が空間に掌をかざしただけで病気が医されるものではありません。
    最近では新聞、ラジオ、雑誌等で本教の事を非常に騒ぎたてているのも、みなこの幽幻力が目に見えぬため、その真相が分らないからであります。いまにこんな事とは知らずに、反対をしたり悪口を言ったりしなかったら良かったのにと必す後悔するに決っております。私共はこの教修会によって「大自然の力」というものを教えて戴き、それが尊い「神様の御力」であったという事を知って、何といってよいか、その喜びは到底筆や言葉では表わすことは出来なくなるのであります。
    皆様、どうかこの大自然の力即ち幽幻力が、神様の御力である事をよくよく玩味してお覚りになるようひとえにお祈り申し上げます。
    今まで世界中の事は学問でどんな事でも解けると思っていた偉い人でも、この幽幻力の本体はてんで分りませんでした。これが分ろうとするには又実に簡単であります。それは人間の最大の悩みである病気を医す事の出来る力を深く考えてみればすぐ分る事であります。
    人間は造物主即ち大自然の力によって造られたものであります。しからば――その人間の破損ともいうべき病気を医す力もまた大自然の力でなければならぬ ――と考えれば、それでお分りになるはずであります。物を造り出す力があれば、その物の故障を直す力のある事は真理であります。

      大自然の法則(霊主体従)

   先にも申し上げました通り、現界におけるあらゆる事件は既に霊界の方で先に起っていて、それが現界に写って来るものであります。しかるに現界の出来事のみを対象として解決しようとしたのが、今までの学問の理念でありました。文化が進歩したと言いながら人類の幸福がそれに伴なわないのもそのためでありました。故に現界の事を解決せんとするには、まず霊界のそれを解決しなければなりません。これを霊主体従の法則と申します。この意味において、病気の治療でも、霊界よりの解決、即ち霊をもって霊の治療を為(な)す事が真の治療法でなければならないのであります。従って人体といえども霊体は霊界に属し、肉体は現界に属しているのは勿論であります。ですから人間の病気も霊の曇りを解消さえすれば、その曇りが肉体の毒素の溜結となっているのでありますから、それが溶けて病気が治る理屈になります。

      死とは何ぞや

    そこで人間の霊体とは如何なるものでありましょうか。これを解くに当って知らなければならないのは、生死の問題であります。それで死とはどういう事かと申しますと、霊が肉体というサックから離脱して霊界に還るのであります。そうして肉体は土に還元するのであります。これが死であります。

      生とは何ぞや

    生まれるという事は、霊界に往った霊が、ある時を経て再び現界に生まれて来ることでありますから、霊は無限の生命体であり、肉体は有限的のものであります。だから、人間を取扱う上において霊が根本の対象である事を知らなければなりません。
    以上述べました事は、これから御話申し上げる病気を治す方法に対し、予備知識を御話し申し上げた積りでありますから、どうしてもこれだけの知識は充分御認識あって欲しいのであります。これだけの知識がない限り、これから御話申し上げますところの病気治しの原理は御理解が出来にくいのであります。