主なる病気(二)  眼、耳、鼻、口  (昭和二十八年) 

  眼病も甚だ多いものであるが、大抵の眼病は放っておいても治るものを、薬を入れるから治らなくなるのである。というのは眼の薬程毒素を固めるものはないからで、盲目なども殆んどそうであって、一生涯不治とされるのも薬の為で、全く恐るべきものである。特に盲目であるが、此原因は最初眼球の裏面に血膿が集溜したのが底翳であり、外側のそれが白内障又は角膜炎であるが、之も自然に委せれば僅かづつ眼脂や涙が出て治るのである。又目星は眼に出来た小さな出来物と思えばいいし、流行眼で目が赤くなるのは浄化による毒素排泄の為である。又小児などで目が開けられない程腫れ、膿汁が旺んに出るのは非常に結構で、放っておいて出るだけ出て了えば治るのである。処がその際冷したり、温めたりするのは最も悪く、その為長引いたり悪くなったりするのである。茲で特に注意したい事は点眼薬である。之こそ固める力が強く、吾々の経験上発病後直ちに浄霊すれば簡単に治るが、一滴でも点眼薬を入れたらズット治り難くなるのでよく分る。又硼酸で目を洗ふが、之も悪いので、硼酸の薬毒で其時は少しいいが、度々行ってゐると中毒となって目がハッキリしなくなり、クシャクシャするやうになるのである。考えてもみるがいい、瞼の裏の粘膜といふ柔い布と、涙といふ上等な液で自然に洗はれるのであるから理想的である。それに何ぞや愚な人間は余計な手数をかけて悪くするのであるから、常識で考へても分る筈である。それから悲しくもないのに涙が出る人があるが、之は点眼薬中毒であるから、顧りみればアノ時の点眼薬だなとすぐ分る。
次にトラホームであるが、之は眼瞼の裏にブツブツが出来るが、之は脳にある毒素排除による湿疹であるから、放っておけば完全に治るものを、無知なるが為手術するので、之が癖となって度々手術をするので漸次悪化し、失明同様となる者さへあるのである。以上の如く悉くの眼病は、頭脳内の毒素排泄の為、一旦眼球や其附近に集合するのが原因であるから、此理が分れば少しも恐れる事はないのである。従って之が一般に分ったなら、眼病盲目は今より何分の一に減るであらう。
  次に近眼であるが、之は延髄部に固結が出来、血管を圧迫する為、眼の栄養不足となり、遠方を視る力が足りないのが原因であるから、固結さへ溶かせば容易に全治する。又乱視の原因も同様であるが、只近眼と異ふ処は毒素の性質上固定的でなく、動揺性であるからである。
  次に耳の病であるが、最も多いのが中耳炎であらう。之は淋巴腺附近に固結せる毒素が浄化で溶け、耳から出やうとする為で、激痛は骨に穴の穿く為であるから、之も放っておけば穴が開き、排膿して治ると共に、穴も自然に塞がるのである。又鼻の病は鼻茸、肥厚性鼻炎、鼻カタル等色々あるが、之も頭脳内の毒素が溶解流下して、鼻の附近に溜るのが原因で、之も自然にしてをけば必ず治る。鼻に就て注意したい事は、コカインの吸入を頻繁にする人がよくあるが、此中毒で死ぬ事があるから、そういふ人は断然廃めるべきである。又口膣内の病気であるが、最も多いのは歯槽膿漏であらうが、之は首肩辺に固結した毒素が、少しづつ溶けて歯茎から出やうとする為で、放っておけば長くは掛るが自然に治るのである。よく口が荒れたり、粘膜に湿疹が出来たり、舌に腫物が出来たりするのは、何れも飲み薬が粘膜から滲み、毒化して排泄する為であるから、之も出るだけ出れば必ず治るのである。
  次に婦人の乳癌もよくあるが、此殆んどは腫物であって、初めは深部に出来るが、之も放っておけば漸次外部に腫れ出し、大きくなって穴が開き、排膿されて治るのである。次に肺、心臓、胃以外の主なる内科的疾患としては、肝臓病と胆石病が多いものであるが、之は初め薬毒が肝臓部に固結し、肝臓が圧迫されるにつれて、その奥にある胆嚢も圧迫されるので、胆汁が溢出して起るのが黄疸である。又胆石病に就いてもかいてみるが、此病気は腎臓から浸出した尿毒が上昇し、右側背部から胆嚢に浸入する。すると胆汁と右の毒素が化合して結石が出来る。之が胆石病であって、その石が輸胆管を通過する際激痛が起るが、此痛みは医学ではどうにもならず、止むなく一時的応急手段より外にないのである。而もその石が腎臓へ流下したのが腎臓結石である。尚困る事には結石に尿素が附着し漸次大きくなり、腎臓壁に触れるので、痛むと共に出血する事もある。そうして此結石が膀胱に入ると膀胱結石となる。処が此結石が膀胱の出口又は入口につかへると尿が閉止し、下腹部が膨満する病気となり、非常に苦しんだ揚句大抵は死ぬのである。然し浄霊によれば結石は破砕され、砂の如くなって排泄し容易に全治するのである。
  次は糖尿病であるが、之は膵臓の周囲に薬毒が固結圧迫する為、糖分の処理が不能となる、之が原因であって、之も浄霊で簡単に治るのである。此病気に対して医師は食物を制限するが、之なども何等意味はないばかりか、衰弱の為反って病気は悪化する位である。次に腹膜炎であるが、之は腎臓の周囲に出来た固結毒素圧迫の為、尿の処理が不活発となり、其余剰尿が腹膜に溜るのである。之も急性は膨満するが、慢性は極く僅かづつ溜って固結し、急激に浄化が起る場合、高熱、激痛が伴ふので、医診は救世腹膜炎として大病とするが、両方共浄霊によれば割合簡単に治るのである。次に最も多いものに便秘症があるが、此原因の殆んどは下剤中毒である。というのは下剤を飲む以上便通機能が退化するから繰返す事になり、遂に慢性便秘症になるので、之も自然にしてゐれば必ず治るのである。処が医師は便秘を恐れるが、之は全然誤りで、私の経験によるも放ってをいて一ケ月目位から出るやうになり、何の障りもなかった人もあり、半年なかった人もあったが、何の事もなかったにみても、便秘は何でもないのである。此反対の慢性下痢の人もあるが、之も毒の排泄であるから結構で、出るだけ出れば治ると共に健康は増すのである。以前約三年私の言う通りに放っておいた処、全治して非常に健康になった人もあった。
  次に腹に虫の湧く病気で、彼の蛔虫、十二指腸虫、真田虫、蟯虫等があるが、之等も薬毒が溜って膿化し腐敗し、虫が湧く場合と、伝染による場合とがある。何れにしても考えて見て貰ひたい事は、人間の躰の中に虫が湧くなどは実に恥辱である。之では塵溜か糞溜と何等択ぶ処はないからである。故に虫など湧かなく清潔な身体であってこそ、万物の霊長といって威張れるのである。